カミとオニがやって来る

2017-4-19 UPDATE

ハロウィンやクリスマスを祝ったすぐ後に、
家族みんなで初詣に出かける日本人。
結婚式は教会で、葬式はお寺で、七五三は神社でというのも
特に違和感を感じることがありません。
日本人は宗教や信仰への思いが希薄だというのも、
よく指摘されること。しかし日本にはいたるところに
神社や仏閣があり、ことあるたびに手を合わせる人も
少なくありません。どうやら日本人の信仰観も、
独特の感覚に彩られているようです。

カミと神とGod

日本語の「カミ」が意味するのは、人智を超えた力をもつもの。日月星辰、山や海、草木虫魚、すなわちあらゆる自然物がカミになりえます。雷鳴や風のようなものもカミとされてきました。一方、漢字の「神(しん)」は電光の屈折して走る様子の象形です。「カミ」に「神」の文字が当てられたのも、当然といえば当然の選択だったように思えます。

しかし、ギリシア・ローマ神話の神々(god)はともかく、たとえばキリスト教に代表される一神教の絶対神(God)の訳語をそのまま「神」としたことは、多くの誤解や混乱の原因になります。キリスト教が日本に伝来した当初は、「デウス」や「天主」や「天帝」などと表記されていたように、日本の「カミ」と「God」とが、かなり異なっているものでることが意識されてはいたようです。逆に日本のカミを英訳するなら「god」よりも「essence」や「spirit」の方がふさわしいのかもしれません。

茨城県、鹿島神宮の「さざれ石」。神が宿り成長する石とされてきた。

茨城県、鹿島神宮の「さざれ石」。神が宿り成長する石とされてきた。

神も仏も

一方、仏教の神は「仏」として日本には定着しています。仏は本来は、悟りを開いたもの、基本的には仏陀のことですが、仏教の発展とともに菩薩や如来、ときにはその他の諸々の神々を合わせて仏と呼ぶようになったものですが、仏教を多神教としてとらえるなら、「仏」も「god」に違いありません。にもかかわらず、日本古来のカミとキリスト教の絶対神がともに「神」と表記され、それに対して仏教では「仏」が使われることにより、あたかも日本の神々が仏よりも一神教の絶対神に近いという、混乱したイメージまで生まれてしまいます。

日本の神の性格を、さらにわかりにくくしているのは、仏教伝来以後まもなく生まれた神仏習合の思想です。神仏習合とは、日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成された宗教現象です。神と仏という呼称はそのままに、神は仏の化身(あるいはその逆)とみなされたり、神社の境内に神宮寺がつくられたり、寺院が守護神を祀るようになります。江戸時代には、神社なのか寺院なのか判然としない「宗教施設」も少なくありませんでした。明治政府による神仏分離政策によって、近代以降は神と仏の区別はふたたび明確にされますが、現代の日本人にはそこが寺院なのか神社なのかを意識しないまま、初詣に出掛けるといった例も少なくありません。もっとも、近世までの日本人も、神仏の区別にそれほどこだわった様子はありません。ちなみに、「神道」という言葉が一般化したのも、明治以降のことでした。

京都伏見稲荷大社。稲荷は日本の神であるが仏教の荼枳尼天(だきにてん)と同一視された。

京都伏見稲荷大社。稲荷は日本の神であるが仏教の荼枳尼天(だきにてん)と同一視された。

クリスマスはキリスト教か

日本人が「神様」の出自にさほどこだわらないことを象徴するのが、七福神信仰です。福をもたらすとされる七柱の神々をめぐる小さな巡礼のような風習が、中世以降に流行しました。その七柱には、日本古来のカミをはじめ、仏教や道教の神様までが含まれています。そんな「何でもあり」の日本人のカミに対する接し方の背景には、信仰をその教義=論理ではなく感覚で受け入れるという姿勢があります。何でもありのように見えて、感覚的に受容できない神仏は人気がないのです。だからひとたび感覚的に納得できれば、クリスマスやハロウィン、もしかしたらイースターでさえ、比較的容易に受け入れることにもなるのでしょう。

ただし、クリスマスはもともと古代ローマの農耕神であるサトゥルヌスのための祝祭だったとする説もあり、ハロウィンも古代ケルトの秋の収穫を祝い悪霊を追い出す行事であったように、キリスト教もそれほど厳格に他宗教を排除してきたわけではありません。むしろ多くの宗教が、たとえ一神教でも、神仏習合的に他宗教の要素を巧妙に取り込むことで、布教してきた歴史があります。仏教の仏たちも、ヒンズー教やゾロアスター教をはじめとする様々な宗教に出自をもつものが少なくありません。日本人がクリスマスを楽しむのも、さほど無節操なことではないのかもしれないのです。

神様を感じる

日本人の「カミ」の捉え方が「感覚的」なのは、はじめからカミそのものが感覚的な存在だったためにほかなりません。カミは本来、感じるものだったのです。神の像が祀られ、その姿が描かれるようになるのは、仏像や仏画の影響です。神社もまた仏教建築の影響によって現在のような姿になりました。

古い神社に祀られている「ご神体」は、鏡や石や剣、何もはいっていない空っぽの箱、あるいは山や岩や大木などです。しかもそれら自体がカミであるわけではなく、カミはしかるべきときにそこにやって来て、ある期間だけそこに留まるものなのです。神社をあらわす社(やしろ=屋代)という言葉は、仮の建物を意味し、神社も古くは仮設されるものでした。その名残は伊勢神宮などの遷宮行事に残されています。また山や岩や大木は依代(よりしろ)と呼ばれます。

そんな仮設の屋代や依代にカミがやって来ることが「オトズレ(音連れ=訪れ)であり、風の音や木々のざわめきなどが、カミが来臨したことのしるしとされていたのです。ときには「カミナリ」のように激しい音を鳴らしてやって来るとも考えられていたようです。カミ、あるいはカミの気配を感じることが、日本の伝統的な分析についての考え方の根底にあるのかもしれません。

岡山県吉備津神社の「鳴釜神事」の釜。 神からのメッセージを釜の鳴る音で占う。

岡山県吉備津神社の「鳴釜神事」の釜。神からのメッセージを釜の鳴る音で占う。

宮崎県高千穂の高千穂神楽。神楽とはもともと、神と人が一体となる場のことであり、のちにそこで行われる歌舞を意味するようになった。

宮崎県高千穂の高千穂神楽。
神楽とはもともと、神と人が一体となる場のことであり、のちにそこで行われる歌舞を意味するようになった。

わからないことの意味

森羅万象が日本のカミでした。しかしいつでもそこにカミが宿っているわけではありません。ときにそこにカミが宿ることがあり、それは感覚を研ぎすますことによってのみ知ることができるのです。そんなカミからはなかなか体系だった教義や厳密な宗教理論は生まれにくいとも言えます。もちろん優れた宗教書を残した神官や僧侶も少なくはありませんが、庶民にとってはほぼ無縁のものでした。日本の信仰がきわめて感覚的であることは、経典の使われ方にもあらわれています。

日本人が経典に触れる機会の第一は、葬式に代表される仏事でしょう。そこで読まれる教典は、インドの原典を漢訳したものが中心で、これを聞く人はほぼ意味を知ることはできません。それは神官による祝詞の類も同じであり、日本語ではあっても、その内容を理解することは不可能です。そんな「わからない」教えを、あるいは言葉を、わからないからこそありがたいと感じているのが、大多数の日本人なのです。経典の意味より、その音韻、とりわけそれを読む声のよしあしで、ありがたさの価値が決められているのです。

中世末期に伝来したキリスト教が、宗教としては日本にあまり定着しなかったのは、ときの政権によって禁じられただけでなく、布教に際してわかりやすい日本の言葉でその教義が伝えられたことにより、かえって「ありがたみ」を感じられない日本人が多かったためなのかもしれません。ちなみに、キリスト教が禁じられた後も密かに伝えられたとされる、いわゆる「キリシタン」信仰は、聖母マリアが観音菩薩に見立てられ、あるいは密教化することで、継承されてゆき、当初のキリスト教から大きくそのかたちを変えていきました。

オニとカミとは紙一重

カミに対する日本語は「オニ」。漢字の「鬼」は死者や恐ろしく荒々しい存在をあらわしていますが、オニは「大人(おに)」、つまり魂が成長した状態、あるいは「隠(おん)」、つまり隠れたカミを示すとする説もあります。また「鬼」と書いて「モノ」と読ませることもありました。モノノケのモノです。オニは必ずしも西洋の悪魔のように神と対立する存在ではなく、カミと近いニュアンスを持つ言葉だったのです。

古代、大和朝廷が成立すると、オニは土蜘蛛や蝦夷と同様に、中央政権に従わない、あるいは反抗する人々のことになってゆきます。さらには酒呑童子をはじめとするアウトローたちも鬼とされるようになりました。一方、中国から伝わった陰陽道では、邪悪な鬼が出入りする方角、すなわち北東が鬼門とされるようになります。北東は陰陽道では、艮(うしとら=丑寅)と呼ばれ、そのため日本では鬼が、牛(うし)の角を持ち、虎(とら)の衣装を身に着けた姿で表現されるようになったのです。

鬼はまた「百鬼夜行」のように、妖怪であるともされました。妖怪は単なるお化けではなく、自然物や人工の器物が年を経て霊魂が宿るようになったものを指します。つまり、カミと同様に、どこからかやってきた魂が様々な事物に宿ったものが鬼だったのです。ここでは、カミとオニは、ほとんど同じ性格をもっていると言ってもいいでしょう。しかも、単純に人間に危害を加えるのが鬼、そうでないものを神とするわけにもいかないのです。

「百鬼夜行絵巻」。平安時代には、年を経た道具や動物が鬼=妖怪になって行列をすると考えられていた。

「百鬼夜行絵巻」。平安時代には、年を経た道具や動物が鬼=妖怪になって行列をすると考えられていた。

ヒトがオニになりカミになる

平安時代には、恨みを抱いて死んだ者たちが怨霊となって、人々に災いをもたらすとする怨霊思想が生まれます。その代表格が菅原道真ですが、道真は右大臣の位まで昇りながら、謀略によって左遷され、失意のうちにこの世を去りました。まもなく都で天変地異が頻発したことが、朝廷によって道真の恨みによるものとされます。絵巻などでは、その時の道真は鬼の姿で描かれています。怨霊となった道真は、その怒りを鎮めるために、天神として北野天満宮に祀られました。つまりヒトがオニになり、カミとなったわけです。

カミがホトケになり、ときにヒトがオニやカミになるのが日本なのです。しかしそれら祀られている神社や寺院を訪れる人々の多くは、そこに誰が、あるいは何が祀られているかについては、かなり無頓着であるようです。徳川家康を嫌っている人も、家康を祀る東照宮の拝殿で柏手を打つことにさほどの抵抗は感じていないはずです。まして、クリスマスやハロウィンを祝うなどということは、たいていの日本人にとっては、何の違和感もないのです。それが日本の信仰のあり方なのですから。

日本人の多くは、おそらく教会やモスクにおいても神妙な気持ちになるはずです。無節操と言えなくもありませんが、その根底では、やはり万物には人智を超えた力が宿るという感覚が生きているのです。江戸時代、無信心であっても大方の人々は、自らの行為を次のような言葉で律していました。「お天道様に顔向けできないことはしない」。天道とはもちろん太陽のこと。森羅万象の代表です。古来の信仰、仏教、道教、キリスト教、儒教など様々な信仰のかたちが日本文化の中では溶け合っていますが、時代を超えて、もしかすると現在でもなお、日本人は日常の中ではお天道様を意識し続けているのかもしれません。

雷神=鬼の姿で描かれた菅原道真の怨霊。 「北野天神縁起」より。

雷神=鬼の姿で描かれた菅原道真の怨霊。
「北野天神縁起」より。