2016-3-1 UPDATE

抹殺された「千里眼」研究

大きな反響を呼ぶも、批判にさらされ、
歴史から消えていった千里眼(透視)の研究。
世界初の「念写」を巡る事件の顛末。

福来友吉という心理学者を知っていますか? 戦前に東京帝国大学で助教授を務めた研究者で、世界で初めて「念写」を発見した人物として知られています。

福来博士は、1910年、熊本で「千里眼」の持ち主として知られていた御船千鶴子と会い、いくつかの透視実験を実施。その結果を東京で発表し、大きな話題を呼びました。明治時代とはいえ、日本の最高学府に籍を置く博士が、超能力の実在を発表したのですから驚きです。その後、御船千鶴子が上京し、他の学者や新聞記者を前にして、公開実験を行うのですが、うまくいきません。また実験のやり方もずさんなもので、御船千鶴子の「千里眼」能力自体に疑問が持たれる結果となってしまいます。一時はセンセーショナルに取り上げた新聞・雑誌も、逆に福来博士に批判的な論調になっていきます。

次に福来博士は、香川県でよく当たる予言をするという長尾郁子のことを知り、彼女の協力を得て透視実験を行います。ここで用いられたのが現像前の写真乾板に長尾郁子が念じた像を映し出すというもの。これが「念写」の始まりです。しかし今回も批判派からの妨害や、実験そのものへの疑問が出され、福来博士はまたも激しい批判にさらされることになります。

この結果、「千里眼は科学ではない」という結論となり、福来博士も1915年に東京帝国大学を辞職。以後は在野で超能力研究を行うことになりました。

1933年、福来博士は宮城県生まれの自称超能力者、三田光一による念写実験を行いました。三田は当時の人類がまだ見たことがない「月の裏側を念写する」として、ある像を映し出してみせます。それが果たして月の裏側なのかどうかは、後の宇宙開発時代を待たなければなりませんでしたが、三田の念写像と実際の画像を比べてみたところ、「間違いなく月の裏側」と言えるほどの結果は得られませんでした(三田自身は1943年に亡くなっています)。

御船千鶴子や長尾郁子の透視能力は本物だったのかどうかは、今となっては検証しようがありません。全てインチキだったとも言えますし、たまたま実験ではうまくいかなかっただけかもしれません。しかしマスコミは、たった一度のミスの方をスキャンダラスに取り上げがちですし、世間もそれを追認します。もし福来博士がもっと慎重に実験を行っていれば、日本の超能力研究の歴史は違った歩みをしていたかもしれません。しかし実際は、超能力の研究をすること自体が非科学的とされ、学問におけるタブーとなってしまい、仮に手を出そうものなら研究者生命を絶たれる風潮となってしまいました。

科学や学問の世界には、そうしたタブーの領域があちこちにあります。しかし、世界を変えるような可能性を秘めた研究は、そうしたタブーに挑むことから始まるのかもしれません。